【コラム】カンボジアの平均年齢は25歳!?

こんにちは!U-dawnです。今回はカンボジアの平均年齢をとてもとても低くした原因であるポル・ポト政権についてまとめます。

ポル・ポト政権が目指した社会

ポル・ポト政権が目指したものは「平等な社会」。これを実現するため原始共産制を掲げ、政治を行いました。

原始共産制とは、原始時代の生活を目指す思想。「狩猟採集を生活基盤にしていた時代には社会階級は存在していなかった。しかし、動物の家畜化や植物の栽培が進んだせいで所有権を独占する人が現れ、奴隷制度などが形成された。ならば、所有権を独占できないようにして全員が平等な社会をつくってやろう。」という思想です。要するに資本主義アンチ。

自国民大虐殺!?

先述したようにポル・ポト政権が目指すのは原始時代の生活。ポル・ポトは原始時代の生活に戻すにあたって知識人は不必要だと考えます。なので知識人を徹底的に排除しました。そして疑わしきも罰し、知識人”っぽい人”も排除しました。知識人っぽい人というのは眼鏡をかけた人(本を読んだから目が悪くなった)とか、手がきれいな人(農業に従事してない)などかなり無茶苦茶。

目指すは原始時代。ポル・ポトは学校や病院、宗教、貨幣なども排除します。こうして原始時代の生活にするための基盤は整っていきます。そしてついに、堕落しきった人間を原始時代の生活に適応させていこうとします。

(画像元:【今日のカンボジア】-ポルポトの墓- アンロンヴェン | Office Seishiron | カンボジア観光省&小さな旅行会社の中の人

国民の二分化

学校、病院、宗教、貨幣などこれまでの人生で関わってきたほぼすべてが否定されたカンボジア。ある日、首都プノンペンに住んでいた全市民は突然農村に移動するよう言われます。農村まで徒歩で、数か月かけて移動します。歩けなくなった人は射殺、あるいは見殺し。歩いて歩いて、そうして行き着いた先で待っていたのは、労働でした。

プノンペンから移動させられた人々は新住民、もともと住んでいた人々は旧住民と区別されました。旧住民はポル・ポトにとって理想の国民。その旧住民の下に新住民を置き、再教育します。移動先の農村では農業だけでなく堤防工事など強制労働を強いられました。食料は一日2回、ほんの少しのおかゆだけ。

さいごに

ポル・ポト政権は1975年から約4年も続きました。国民は耐え難い毎日に何を思っていたのでしょうか。

ポル・ポト政権による一連の残虐行為によってカンボジアの総人口の約4分の1が殺されました。グラフで見てもその時期は一目でわかります。

(画像元:グラフで見るカンボジアの人口推移(過去と未来・将来の推測まで)と一覧表 | GraphToChart(GTC)

平等な社会を目指しているのにも関わらず国民を二分化するのは矛盾しているように思いますが、ポル・ポト政権が続いていたとしたら向かう先はどうなっていたのでしょうか...。

参考文献

(アイキャッチ画像元:ポル・ポト - Wikipedia (2025/4/10))

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